酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

藤村俊二さん死去

「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優の藤村俊二さんが1月25日、心不全のため死去した。82歳。神奈川県鎌倉市出身。体調不良のため、2015年10月で日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを降りてから療養生活を送っていた。


● 藤村俊二
藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年12月8日 - 2017年1月25日[1])は、日本の俳優、声優、タレント、振付師。神奈川県鎌倉市出身。愛称はおヒョイやおヒョイさん。俳優事務所、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)所属。


来歴・人物
実父はスバル興業社長[2]。小学校から高等学校まで暁星学園で過ごし、演出家を志して早稲田大学第一文学部演劇学科に進学。理論偏重の教育に飽き足らず中退し、東宝芸能学校舞踊科を第1期生として卒業。


日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧し、イギリスやフランスを巡る。このとき本場の芸の水準に驚いて舞踊家の道を断念し、帰国後、振付師に転向。ザ・ドリフターズの大人気番組『8時だョ! 全員集合』(TBS)やレナウン「イエイエ」のCFの振り付けも担当した。


本人によると、もともと振り付け志望であったが、番組中にエキストラ出演を頼まれることも多く、画面に映るのが嫌でその場から「ひょい」と逃げていたところ、「おヒョイ」のあだ名がついたという。後輩からは主に「おヒョイさん」と呼ばれる。


『8時だョ! 全員集合』では、ギャグアドバイザーだった事もあり、「ヒゲダンス」の振り付けを担当したとされる。しかし藤村自身が2008年4月18日放送のNHK-FM『邦楽ジョッキー』や『おしゃれカンケイ』でこれを否定し、『8時だョ! 全員集合』で振り付けたのはオープニング(民謡「北海盆唄」の替歌)の「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」の部分であり、「腕・肩を順番に触るだけの単純な動作だが、忙しく踊っているように見える振り付け」と語っている。


愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、森山周一郎らと「昭和九年会」を結成していることでも知られる。


芸能界で活躍する一方、東京・南青山でバー「O'hyoi's」(オヒョイズ)を経営していた。店のロゴマークにはオーナーの藤村のシルエットがあしらわれていた。芸能人が経営する飲食店は、いわゆる名義貸しオーナーの形が多いが、藤村は仕事の合間を縫って店に立つなど、実際に現場での経営を行っていた。また、この店では「お客様にサービスするのが当たり前だから」という理由でサービス料は設定していなかった。2010年12月に閉店。


長らく細身に黒髪のアフロヘアーがトレードマークだったが、胃癌で胃を全摘出してからは毛染めをやめている。


バラエティー番組などでは、とぼけたキャラクターと自虐とも取れるシュールな冗談で人気を集める。


役者としては知的な老紳士的役も多いが、三谷幸喜作品においてはボケキャラを演じることが多かった(実際、三谷作品に多く起用されている)。


本人は「タレント」という肩書きが嫌いで「アクター(俳優)」を自認している。


たびたび「執事役が似合う芸能人」として話題に挙がることもあった(ちなみに『黒執事』に登場するキャラクター・タナカのモデルは藤村である)。


かつて代表を務めていた俳優事務所「オフィス・オヒョイ」には自身のほか黒澤久雄や岡崎友紀らも所属していたが、2011年を以て同事務所は解散。滝口順平の死去に伴い2011年から担当していた『ぶらり途中下車の旅』のナレーションも2015年10月24日放送分からは太川陽介や林家たい平、石丸謙二郎らが週替わり(代役)でナレーターを務めた。


2015年12月になって藤村夫人が女性自身のインタビューに応じて、藤村について「体調を考慮して「ぶらり―」のナレーションを2015年10月を以て正式降板し、それと共に芸能界から引退した」ことを公表した。血管の状態が思わしくないため、千葉県の病院に通院しているという[3]。一方、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)代表取締役で長男の藤村亜実は「単に『ぶらり―』を降板しただけ」と引退発言報道を公式に否定している[4][5]。


2017年1月25日午後8時45分頃、心不全のため死去。82歳没[1]。


詳しい事は『藤村俊二ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E4%BF%8A%E4%BA%8C
(wikiより)




南青山 ワインバー オヒョイズ / 藤村俊二さん


合掌。