酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5566 酒井如酔墓(台東区・谷中霊園)

酒井如酔 ( さかい - じょすい ) / 酒井市之允 ( さかい - いちのいん )
文政 2年 5月26日 ~ 明治 13年 8月 28日 ( 1819 - 1880 )


横山大観の祖父。


名、喜熈 ( よしひろ )。通称、市之允。号、如酔。


父、水戸藩家臣・酒井喜昌。母、四宮氏。


水戸「彰考館」の地図製作者で、水戸藩主・徳川斉昭に地球儀を贈る。


幼少より兵書・蘭学を勉強。


伊能忠敬の門人で、地理学を修める。


また、間宮林蔵とも面識があった。


天保 4年 ( 1833 ) 間宮林蔵の仲介で、水戸藩主・徳川斉昭に小石川藩邸で会わされた。


このとき、酒井は自分のような下級役人に藩主が何の用事があるのか察しがつかなかったという。


こののち、水戸藩領でさかんに測量をおこなって地図作成に努める。


200石を頂き、軍用掛・船手同心頭・船手頭兼海防掛・持弓頭・槍奉行を歴任。


以前に長崎でオランダ人に航海術を学び海岸防御について知識があり、異国船来邦以来海防意識の高い水戸藩において尽力。


諸国を単身巡回し「関八州譽地図」・「箱根山西図」・「大日本海路図」・「名勝案内地図」など地図製作数十を作る。


藩中の内乱に嫌気をさし、明治元年 ( 1868 ) 致仕して名を如酔と改め東京に移る。


のちは、専ら茶道に興じ、また、地図を開いて万国の強弱など論じる。


武田耕雲斎らと「水戸の十七騎」と呼ばれた学者。76歳没。


なお、子の酒井捨彦 ( 横山大観の父 ) もまた明治中期に数々の貴重な日本地図を残している。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/659.html
619 伊能忠敬墓(東上野・源空寺)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/666.html
626 横山大観墓(台東区・谷中霊園)