酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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6656 菅沼達吉墓(台東区・谷中霊園)

菅沼 達吉(すがぬま たつきち、文久元年(1861年)2月8日)- 大正4年(1915年)5月3日)は明治時代の実業家。旧制第二高校教授兼舎監、日本銀行、大阪市庁(現・大阪市役所)を経て実業家となり、大阪電灯の重役等を務めた。三男に俳優の森繁久彌がいる。


江戸時代の幕府大目付・森泰次郎の次男であり、のちに菅沼家の養子となった。幕末の奥儒者・成島柳北は叔父にあたる。父・森泰次郎と成島柳北は、松本家の出身の兄弟であり(泰次郎が次男、柳北が三男)、それぞれ、森家、成島家の養子となっている[1]。


家系
大きな海産物問屋の子女の馬詰愛江との間に3子を儲けた。実業家の岩崎久弥と深い親交を持っていた事から末っ子の三男の名前は久彌となった。しかし、自身が54歳の時に死去したため、長男は母方の実家の馬詰家を継ぎ、次男はそのまま菅沼家を継ぎ、三男・久彌は馬詰方の父の姓を継いで森繁家の養子となっている。


達吉にはこれ以前に正妻がおり、その間には長男(1890年生)、長女(1893年生)、次女(1895年生)、次男(1897年生)の2男2女を儲け、合わせると7人の子がいる。


馬詰愛江との3子は長男・馬詰弘(1907年生)で、共産党に入って中国に渡り、戦時中に満州の延吉で病没した。次男・菅沼俊哉(1909年生)は1964年東京オリンピックの招致活動をしたのち、1982年に亡くなった。三男・森繁久彌(1913年生)は満洲電信電話の放送局に勤務したのち俳優となって後に文化勲章を受章、没後に国民栄誉賞が授与された。馬詰愛江とは生涯入籍することは無かったが、認知していたため、子供達に菅沼姓は与えていた。[2]


栄典
・1891年(明治24年)12月21日 - 正八位[3]


脚注
1. 新日本古典文学大系明治編5より
2. 森繁久彌語り、久世光彦文「大遺言書」より
3. 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。


関連項目
・実業家
・成島柳北
・鶴原定吉
・山口財閥
・岩崎久弥
・森繁久彌
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/515.html

501 森繁久彌墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/516.html
502 成島柳北碑(墨田区向島5-4-4・長命寺内)