酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6654 馬島 譲墓(台東区・谷中霊園)

馬島 譲 ( まじま - ゆずる )
天保 5年 ~ 明治 35年 2月 3日 ( 1834 - 1902 )


北海道開拓使医師。京都丹波出身。


若くして長崎に行き洋式医学を修め、のち松本順に従って江戸に行き、さらに医学を研鑚した。


幕末の騒乱時には、幕府撤兵隊に参加し各地を転戦した。


明治元年 ( 1868 ) 始て大病院医師試補となり、明治 2年 ( 1869 ) 開拓使1等医師、官立凾館病院初代院長 ( - 1877. 11 )。


まもなく大学および文部省大助教に転じる。


明治 5年 ( 1872 ) 開拓使 7等出仕となり、札幌に赴任、のち累進して開拓使御用掛。


明治 14年 ( 1881 )官立札幌病院長。


明治 15年 ( 1882 ) 廃藩置県に際し、札幌県御用掛、同県衛生課長、陸軍御用掛。


明治 20年 ( 1887 ) 退官し、明治 21年 ( 1888 ) 小樽に私立愛生病院を設立。
未開の地の医療施設は、大勢の救いとなった。


明治 31年 ( 1898 ) 秀の夫、木村氏に病院を譲り札幌に帰り、晩年には東京にも家を構え東京で没した。69歳没。


教育にも理解を示し、長崎蘭法医師のミス・スミスがスミス女学校を開校したとき長女秀を入学させ、寄宿舎に託したばかりでなく、3女・千代を幼稚園に、2女・鶴を明治 28年 ( 1895 ) から北星女学校に入学させている。また、ミス・スミスにも大金を融通している。


戒名 : 「仁徳院殿寛道春庭居士」。