酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6650 前田元温墓(台東区・谷中霊園)

前田元温 ( まえだ - げんおん / もとはる )
天保 4年 3月 15日 ~ 明治 34年 9月 6日 ( 1821 - 1901 )


奥医師・明治期の医師。


名、元温。字、子恭。通称、杏・信輔。号、杏斎・松園。薩摩藩士。


若年で藩命で上京し皇居 ( 禁裏 ) 付医師に師事し医術を学ぶ。


皇居の荒れ果てた姿を見て勤王の志を抱く。


27代・薩摩藩主・島津斎興の参勤に従い江戸へでて将軍家侍医・多紀楽真院 ( 1795 - 1857 )、蘭方医・坪井信道 ( 1795 - 1848 ) らに師事し蘭学を学ぶ。


嘉永 2年 ( 1849 ) 長崎で蘭医モンニッケ ( 門尼計 ) について種痘を学び、帰郷後、薩摩藩にて種痘を実施。


元治元年 ( 1864 ) 上京し、禁門の変 ( 1864 ) において傷病兵の治療を行う。


筑前大宰府で三条実美の侍医。


鳥羽伏見の戦い ( 1868 ) では、英国公使館医師ウイルスを招き治療に当たらせる。


横浜陸軍病院を東京に移し、大病院と称し、その院務を司りウイルスを教師に任命した。


医学館・医学所・御薬園病院頭取。文部省御用掛、文部省医務局取締。


明治 5年 ( 1720 ) 警視庁医学校を創設し校長となる。


明治 10年 ( 1725 ) 権少警視。


明治 16年 ( 1731 ) 司法省代言人試験委員。正七位。81歳没。