酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5530 佐々木荘助墓(台東区・谷中霊園)

佐々木荘助 ( ささき - そうすけ )
天保 6年 ~ 明治 25年 4月 7日 ( 1835 - 1892 )


内国通運会社長。


本姓、長谷部。


吉村甚兵衛の三都定飛脚問屋和泉屋の手代で、前島密と官営郵便との競合に対して飛脚屋総代として交渉にあたった。


官営郵便とのすみ分けをするため、吉村甚兵衛を説得し飛脚システムを改革。


泉屋内に陸運元会社を設立し、吉村甚兵衛が頭取、荘助は副頭取となった。


その後規模拡大に伴い、明治 8年 ( 1875 ) 内国通運会社と改名。


明治 14年 ( 1881 ) に甚兵衛が社長を辞めたのち、佐々木荘助が社長を継いだ。


明治 25年 ( 1892 ) 経営不振の責任をとり拳銃自殺をした。59歳没。会社は、その後紆余曲折を経て日本通運となる。


戒名 : 「大徳院長誉通運荘寿居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3263.html
3040 佐々木荘助碑(墨田区堤通2-17-1・隅田川神社)