酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


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何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

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5512 園池公静墓(台東区・谷中霊園)

園池 公静(そのいけ きんしず、1835年7月20日(天保6年6月25日)- 1919年(大正8年)10月8日[1])は、幕末の公家、明治期の内政官僚。第一次奈良県知事、子爵。


経歴
左近衛権中将[1]・園池実達の二男[2]として生まれる。嘉永3年1月(1850年)に元服し昇殿を許された。右京大夫を経て、元治元年6月(1864年)右近衛権少将に任官[2]。


慶応2年8月(1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控となる[2][3]。慶應4年1月5日(1868年1月29日)書記御用掛となる[4]。


慶応4年7月29日(1868年9月15日)奈良府知事に就任。明治2年7月17日(1869年8月24日)奈良府が奈良県に改称され引き続き同県知事を務めた[2][4]。明治3年8月19日(1870年9月14日)知事を免官[5]。同年9月17日(10月11日)侍従に就任[4]。以後、滋宮祗候・明宮祗候を務めた[2]。


1885年7月8日、子爵を叙爵した。1915年4月15日に隠居し[6]、同月30日に長男実康が襲爵した[7]。


栄典
・1887年(明治20年)12月26日 - 正三位[8]


脚注
1. a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻、804-805頁。
2. a b c d e 『明治維新人名辞典』551頁。
3. 『幕末維新大人名事典』下巻、13頁。
4. a b c 『百官履歴 上巻』293頁。
5. 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』104頁。
6. 『官報』第818号、大正4年4月27日。
7. 『官報』第822号、大正4年5月1日。
8. 『官報』第1351号、「叙任及辞令」1887年12月28日。


参考文献
・秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
・霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
・日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
・安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。
・修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6348.html

5511 園池実康墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6354.html
5517 園池公致墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6355.html

5518 園池公功墓(台東区・谷中霊園)