酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5510 松平忠容・彦子墓(台東区・谷中霊園)

松平 忠容(まつだいら ただやす、享保7年(1722年) - 安永10年1月23日(1781年2月15日)は、江戸中期の旗本。信濃上田藩主、伊賀守系藤井松平家松平忠周の五男。兄に松平忠愛、鉄次郎。弟に藤井忠陣、藤井忠弘がいる。通称善十郎。号笠翁。父の遺言により兄である上田藩主の松平忠愛より更級郡川中島(塩崎知行所)5,000石を分知され旗本寄合席となる。宝暦6年、徳川家治の小姓より西丸側役となった。跡は松平忠常が継いだ。


参考文献
・日本人名大事典(講談社)
・寛政重修諸家譜
(wikiより)


● 石塔裏面の略歴は下記のとおり(不正確御免)。
氏部少輔五位下諱忠容小字善大助姓源氏松平其先出自
信濃上田城主従四位下侍従無伊賀守諱忠周之季子也侍従
◆之享保壬寅(7年)夏六月十一日生公於堀河部侍従公遷為執政
◆公来於 東都而居青山之邸戌申四月侍従公卒嫡忠愛嗣
朝割信濃河中島5千石為公之食邑盖侍従公遺言也元文中
西域給事中以性多病◆(しばしば)迄骸骨  優論不許特  恩令温
以養?世以為栄宝暦丙子(6年)春二日准親軍元帥其五月排侍中
如内謁(まみえる)者云無何以病致仕而難髪自号笠翁間適養老安永辛丑(10年)春正
月二十三日卒享年六十葬于  東都天徳寺男一人名忠常即嗣
◆恭奉命為銘銘日生存相府憔仕在  公支封之祖有◆令
安永十年歳次辛丑二月二十七日


◆は判読不可です。


横に松平忠質の室である松平彦子(さとこ)墓(1814 - 1890.9.30:嗣子松平説三建立)がある。



 松平彦子墓