酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5508 川村雨谷墓(台東区・谷中霊園)

川村雨谷 ( かわむら - うこく )
天保 9年 8月 8日 ~ 明治 39年 12月 29日 ( 1838 - 1906 )


南画家・大審院判事。


名、応心。字、広卿・守国。号、雨谷・休翁・陸蓮子・無生居士。俳号、烏黒。幼名、次郎太。通称、新助。


父、幕臣川村幽対。


江戸出身だが父の新潟奉行所勤務のため新潟で育つ。


はじめ父に書画・詩歌・俳句を学ぶ。


松尾柴山に画、杉浦南陽に漢籍、官老館に武術を学ぶ。


安政 3年 ( 1856 ) 家督を相続。


慶応元年 ( 1865 ) 長崎奉行支配定役として長崎に赴く。


3年の赴任の間、木下逸雲 ( 1799 - 186 6)・日高鉄翁 ( ひだか てつおう:1791 - 1871 ) らに師事、南画の画法を学ぶ。


維新後は司法官として大阪、仙台、東京、松江などに赴任し、その後大審院判事にまで昇進し、明治 31年 ( 1898 ) 辞してのち、下谷に移り、田能村直入・田崎草雲らと交遊し、篆刻 ( 書画などに用いる印章彫 ) や俳諧も好んだ。


判事の傍ら、明治 15年 ( 1882 ) 第一回内国絵画共進会で「山水」・「梅」が銅賞、明治 17年 ( 1884 ) 同第二回でも「山水」・「花卉」が銅賞となる。


明治 17年 ( 1884 )「東洋絵画会」結成に際で会員となり、明治 30年 ( 1897 ) には高森碎厳らと「東京南画会」を結成。


門下に春田 ( 寺田寅彦 )、田能村小竹など。篆刻や俳諧・俳画を好み俳号を枯木庵烏谷という。


東京下谷徒士町で没す。69歳没。従五位勲五等。


作品:「童子睡臥」、「与謝薫村肖像」など。


戒名 : 「自得院応心無生居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2694.html
2436 野口小蘋墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)