酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5497 水野伊和造墓(台東区・谷中霊園)

水野伊和造 ( みずの - いわぞう ) 弘化 3年 ~ 明治 39年 1月 19日 ( 1846 - 1906 )


明治期に輸入時計を販売した大手時計商。


父、水野太助 ( ? )。横浜物産会社佐久間町手代。


のち京屋を継ぎ、明治 7年 ( 1874 ) ころ京屋は横浜のファブルブラント商会と提携し、この商会の輸入するゼニット社製の懐中時計の販売総代理店となる。


明治 22年 ( 1889 ) ころ京屋出身者や取引関係者らと「京屋組」という全国組織を結成、販売同盟とする。


本店は、外神田旅籠町にあり、支店は銀座に作った。


店舗屋上に時計台をつくりファブル輸入の四方塔時計を設置し、「外神田の大時計」として親しまれ、東京名物になった。


遠くから見え、上野駅に降りる旅行客にとって良いランドマークだったという。


伊和造は、時計のほかに東京市の汚物処理や銅山経営にも手を染めていて、歿後の大正 2年 ( 1913 ) 頃に京屋は銅山経営に失敗し、本店は川崎銀行に売却された。


 墓碑正面に「初代京屋太助之墓」とあるので、京屋の創業者は、水野太助 ( 明治 16年 8月 25日歿 ) だと思われる。