酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5488 岩田三蔵墓(台東区・谷中霊園)

岩田三蔵 (いわた - さんぞう)     
文政5年~明治20年3月某日(1822-1887)


大蔵官吏。


名、信卿。通称、三蔵。下総香取郡(千葉県)出身。


幕府に出仕し、炮兵指揮官となり、のち御徒目付。


慶応2年(1866)函館奉行・小出大和守秀実を正使とする国境協定のための遣露使節に随行。マルセイユ・パリを経てペテルブルグに赴く。


交渉終了後、パリで徳川昭武に会い、マルセイユ経由で慶応3年(1867)5月に帰国。


維新後、民部省出仕。印刷事監工審査。大蔵吏。


明治11年(1878)印刷局1等技手。正七位。66歳没。


 遣露使節:カラフトの国境画定交渉が失敗し画定のないまま、ロシアが南下してきたため、箱館奉行兼外国奉行小出大和守と目付石川駿河守ら総勢19名が慶応2年(1866)ペテルブルグにおいて国境交渉をおこなった。この時も画定交渉は失敗、翌年2月カラフトを両国雑居地とするカラフト仮規則が締結された。実際に国境が画定するのは、明治8年(1875)の樺太千島国境条約である。