酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5485 小花冬吉墓(台東区・谷中霊園)

小花冬吉 (おばな - ふゆきち)     
安政2年11月10日~昭和9年3月8日(1855-1934)


我が国鉱業界の父。


父、小花作助(三男)。東京出身。


明治6年(1873)8月工部寮に入り、地震学の祖といわれるイギリス人教師ミルンに鉱山冶金学を学ぶ。


明治12年(1879)11月工部大学校冶金科第1回卒業生。
 ・政府の命令で明治13年(1880)イギリスに留学、4年間冶金学を研究。


明治16年(1883)5月帰国して、工部省鉱山局鉱山課に出仕。広島県御用掛兼務。


明治20年(1887)5月フランスに留学し、製錬技術を学ぶ。
 ・秋田・札幌鉱山監督局長。


明治26年(1893)広島県技師として再度フランスに派遣される。


明治29年(1896)製鉄所技師として欧州並に米国に差遣される。


明治32年(1899)工学博士。
 ・官営八幡製鉄所技師・初代製銑部長。


明治43年(1910)東京帝国大学工科大学教授。
 ・同年10月秋田鉱山専門学校が創立されると初代校長となる。4年の勤務を経て退官。


その後は小石川の住居で悠々自適の生活を送る。脳溢血で没する。79歳没。


 生誕日は、多くの資料と異なるが、墓誌を採用した。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6320.html

5484 小花万次墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6322.html
5486 小花春吉墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6323.html

5487 小花三吾墓(台東区・谷中霊園)