酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5484 小花万次墓(台東区・谷中霊園)

小花 万次(おばな まんじ、嘉永5年7月11日(1852年8月25日) - 大正9年(1920年)3月10日)は、幕臣、海軍大学校教授。正五位勲三等。名は萬次郎。


経歴
旗本・小花作助の長男で牛込に生まれる。元服し、15歳で榎本武揚に従い北海道に渡り、箱館戦争に従軍。のち敗れて、慶應義塾に学び(『慶應義塾入社帳第1巻329項』)、開拓局支配調役などを経て秋月種樹に従い渡英し、明治7年(1874年)に帰国。
次いで兄弟に従い工部省鉱山局で鉱山学を学ぶ。


明治12年(1879年)海軍兵学校教官(勅任)。


明治31年(1898年)海軍大学校教授。


明治38年(1905年)辞任。


栄典
・1906年(明治39年)4月1日 - 勲三等瑞宝章、明治三十七八年従軍記章[1]


親族
・弟(三男):小花冬吉(秋田鉱山専門学校初代校長)
・弟(四男):小花春吉(山口農学校校長)
・弟(五男):小花三吾(海軍少将)


脚注
1. 『官報』第7091号・付録「叙任及辞令」1907年2月21日。


参考文献
・谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー 小花万次
・『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年。


関連項目
・大日本帝国海軍文官一覧
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/271.html

267 榎本武揚の像(墨田区堤通2丁目・梅若公園内)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/639.html
605 小花作助墓(台東区・谷中霊園)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6321.html

5485 小花冬吉墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6322.html
5486 小花春吉墓(台東区・谷中霊園)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6323.html

5487 小花三吾墓(台東区・谷中霊園)