酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


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何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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5479 寺田 栄墓(台東区・谷中霊園)

寺田 栄(てらだ さかえ、1859年(安政6年)11月19日 - 1926年(大正15年)1月13日)は、日本の政治団体幹部・官僚・裁判官・政治家。族籍は東京府平民[1]。貴族院議員[1]。長女の鳩山薫(鳩山薫子)は鳩山一郎(総理大臣)の妻で共立女子学園長。鳩山威一郎の祖父、鳩山由紀夫(総理大臣)、鳩山邦夫の曽祖父。鳩山紀一郎、鳩山太郎、鳩山二郎の高祖父。


来歴
1859年(安政6年)、福岡県人・寺田案山子の長男として生まれる[1]。1877年(明治10年)に福岡で発生した士族反乱、反政府暴動である「福岡の変」に参加し、国事犯に問われたため一族と別れ、分家して一家を創立した[1]。1882年(明治15年)、明治法律学校を卒業[1]。


判事検事登用試験合格[1]。横浜地方裁判所判事などを務め、1897年(明治30年)には衆議院書記官となり、議事課長、秘書課長、警務課長等を経て1917年(大正6年)5月衆議院書記官長となった。1923年(大正12年)には退官し、同年貴族院議員に勅撰されている。しかし、それ以前も中華民国の孫文を支援した福岡の玄洋社に参加し幹部となっているなど政治活動は続けていた。


栄典
・1902年(明治35年)12月27日 - 従五位[2]
・1918年(大正7年)2月20日 - 正四位[3]


家族・親族
寺田家
東京市外戸塚町源兵衛[1]
・父・案山子(福岡県平民)[4]
・長女・薫(1888年 - 1982年) 鳩山一郎に嫁ぐ[4]
・次女・ムメ(1891年 - ?) 山口県士族・阿部準輔の五男・梧一に嫁ぐ[4]
・三女・泰(1893年 - ?) 東京府平民・小杉くらの長男・俊雄に嫁ぐ[4]
・長男・孝(1896年 - ?)[4]
・二男・悌(1900年 - ?)[4]


親戚
・鳩山一郎 - 弁護士、政治家
・古立千吉(1887年[5] - ?) 東京府平民、割烹業、政治家[5]。割烹業を営み浅草区会議員を務めた[5]。妻テイは寺田栄の庶子[5]。


脚注
1. a b c d e f g 『人事興信録 7版』人事興信所、1925年、て9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月22日閲覧。
2. 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
3. 『官報』第1680号「叙任及辞令」1918年3月12日。
4. a b c d e f 『人事興信録 4版』人事興信所、1915年、て7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月22日閲覧。
5. a b c d 『人事興信録 7版』人事興信所、1925年、ふ44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月22日閲覧。


参考文献
・黒竜会編『東亜先覚志士記伝』
・頭山統一『筑前玄洋社』 葦書房
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/175.html
171 鳩山 一郎墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3402.html
3162 多賀務墓(台東区・谷中霊園)