酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5476 三輪徳寛墓(台東区・谷中霊園)

三輪徳寛 ( みわ - とくひろ )
安政 6年 8月 13日 ~ 昭和 8年 2月 19日 ( 1859 - 1933 )


医者で薬学の権威。


父、医家・三輪徳太郎 ( 二男 )。愛知県出身。


明治 4年 ( 1871 ) 名古屋県は洋医学校を発足したが、このとき三輪徳寛は 13歳で入学した。


明治 7年 ( 1874 ) 上京し壬申義塾・外国語学校に学ぶ。


明治 10年 ( 1877 ) 東京帝国大学予備門に入る。


明治 19年 ( 1886 ) 3月東京大学医科大学入学。


明治 22年 ( 1889 ) 千葉市第一高等学校医学具教諭。


明治 30年 ( 1897 ) ドイツ留学し、2年間外科学を専攻。


明治 32年 ( 1898 ) 帰国。千葉医学専門学校教授。


明治 34年 ( 1901 ) 医学博士。


明治 35年 ( 1902 ) 兄・三輪重秀と分かれて一家を創立。


大正 3年 ( 1914 )千葉医科大学学長。


大正 4年 ( 1915 ) 日本外科学会長。


大正 12年 ( 1923 ) 千葉大学初代学長。


大正 13年 ( 1924 ) 名誉教授。従三位勲二等。75歳没。


妻の栄は、医家・高松凌雲の娘。


著書:明治 42年から 6年間かけ「三輪医学叢書」 15編を刊行、「三輪外科診断療法」。


戒名 : 「真如院松風寿徳日信大居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/200.html
196 高松凌雲墓(台東区谷中霊園)