酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5475 陽 其二墓(台東区・谷中霊園)

陽 其二(みなみ きじ/よう そのじ、天保9年(1838年)6月29日 - 明治39年(1906年)9月24日)は、横浜毎日新聞創立者、幕府海軍官僚。号は天老居士。


経歴
代々幕府の唐通事を務めた明の遺臣帰化人。肥前国長崎に生まれる。


本木昌造に学び、文久2年(1862年)に幕府海軍長崎丸汽関方となり、元治元年(1864年)に江戸に出て、中邦逸郎・鬼塚辰之助の3名で鉄砲洲慶應義塾に学ぶ。慶応元年(1865年)長崎製鉄に勤務して活版印刷技術を開発し、慶応2年(1866年)に活版所を開設。明治4年(1871年)に井関盛艮の企画で日本初の日刊新聞『横浜毎日新聞社』を創設。


発行の実務を担当するが、明治5年(1872年)に同社を退社し、横浜で印刷所「景諦社」を創立。のち明治7年(1874年)に同社を王子製紙に売却する。明治9年(1876年)には大蔵省・第一銀行の命により、銀貨試売のために行員と共に通詞として香港・上海に渡り、帰国後、第一銀行の東京・横浜製紙分社総括を兼務した。


明治10年(1877年)に雑誌『穎才新誌』を創刊・主宰。書道や中国料理に通じ、晩年には料理店「偕楽園」を創業。内国勧業博覧会審査員、東京築地活版製造所、跡見女学校教授等も歴任した。


外部リンク
・『穎才新誌』


著書
・『支那貿易説』
・『清宮履歴涯略』


参考文献
・丸山信編『人物書誌大系 30 福沢諭吉門下』日外アソシエーツ、1995年3月、ISBN 4816912843
(wikiより)