酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5469 瀬木博信墓(台東区・谷中霊園)

瀬木 博信(せき・ひろのぶ 1903年11月3日- 1971年11月10日)は、日本の実業家。博報堂の元社長。


人物
戦後、博報堂を躍進させ、現在の同社の基礎を築いた。


昭和30~37年の取扱高が、業界全体の伸びが3.85倍、ライバルの電通が4.24倍なのに対して、博報堂を14.6倍とした。(昭和38年3月の博報堂運営方針説明会資料より)
博報堂の機構改革を通じて、広告業界全体の近代化に大きな役割を果たした。


背丈があり、歌舞伎役者のような容貌をもつ華のある人物と言われた。


経歴
・1903年11月3日 博報堂の創業者瀬木博尚の次男として東京都に生れる。
・1926年 明治大学商学部卒業後、博報堂入社。
・1933年2月1日 博報堂常務取締役に就任。
・1939年1月22日 博報堂社長に就任。
・1960年12月16日 マッキャン・エリクソン博報堂設立。


家族・親族
・父・瀬木博尚(博報堂の創業者)
・弟・瀬木博政(元博報堂会長)
・長男・瀬木庸介(元博報堂社長)[1]
・長女・石坂きみ子(石坂泰三の四男・泰彦の妻)[2]
・次女・田中久美子(田中龍夫の次男・卓治の妻)[2]


参考文献
・佐藤朝泰 著 『門閥 旧華族階層の復権』 立風書房、1987年4月10日第1刷発行、ISBN 4-651-70032-2

脚注・出典
1. 『門閥』、180-181頁。
2. a b 『門閥』、180-181頁、190頁。
(wikiより)