酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5461 萩野末吉墓(台東区・谷中霊園)

萩野 末吉(はぎの すえきち、1860年10月14日(万延元年9月1日) - 1940年2月13日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。情報将校の元祖として知られる。


経歴
岡山藩士、萩野閑吾の二男として生れる。陸軍教導団を経て、1881年12月、陸軍士官学校(旧4期)を卒業し、少尉任官。


1885年、ウラジオストク駐在武官となり、シベリアから蒙古までを偵察した。


1904年2月、日露戦争に第1軍参謀として従軍[1]、翌年6月、大佐に進級し歩兵第12連隊長となる。[2]以後、ロシア大使館付、歩兵第29旅団長、台湾第2守備隊司令官を歴任。


1914年9月8日、陸軍中将に進級し予備役に編入[1]。シベリア出兵に伴い召集を受け、1919年1月から1922年11月まで浦塩派遣軍司令部付となった。


栄典
・1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[2]
・1914年(大正3年)5月16日 - 勲二等瑞宝章[3]


外国
・1896年(明治29年)12月1日 - ロシア帝国神聖アンナ第三等勲章[4]


脚注
1. 『官報』第633号、大正3年9月9日。
2. 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
3. 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。
4. 『官報』第4030号「叙任及辞令」1896年12月3日。


外部リンク
・日露戦争戦闘序列
・清季中日韩关系史料5 (重开啦)(中国語)
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1376.html

1273 福島安正墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)