酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5460 上原鹿造墓(台東区・谷中霊園)

上原 鹿造(うえはら しかぞう、慶応元年12月13日[1](1866年1月29日) - 昭和10年(1935年)10月4日[2])は、日本の衆議院議員(憲政本党)。弁護士。


経歴
府内藩士上原平馬の四男として大分に生まれる[1][3]。1883年(明治16年)、大分師範学校に入学して4年間学び[3]、小学校訓導・校長を務めた[2]。1888年(明治21年)に上京し、国民英学会を経て、1892年(明治25年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)行政科を卒業した[3]。同年、弁護士試験に合格し、鳩山和夫事務所に勤務した[3]。日本弁護士協会の結成に加わり、機関雑誌の編集主任を務め[3]、理事となった[1]。


1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。


その後、鳩山事務所から独立し、1913年(大正2年)からは東京弁護士会副会長を務めた[3]。


その他、池上電気鉄道株式会社取締役、京成電気軌道株式会社取締役、ボルネオ護謨株式会社取締役などを務めた[1]。


親族
・豊子 - 妻。鳩山和夫の養女[3]。


脚注
1. a b c d 『大衆人事録』
2. a b 『衆議院議員略歴』
3. a b c d e f g 『大分県人士録』pp.197-198


参考文献
・『大分県人士録』 大分県人士録発行所、1914年。
・帝国秘密探偵社編 『大衆人事録 第3版』 帝国秘密探偵社、1930年。
・『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』 衆議院事務局、1940年。
(wikiより)


戒名 : 「高徳院法誉哲道居士」。


 上原鹿造