酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5455 八杉利雄墓(台東区・谷中霊園)

八杉利雄 (やすぎ - としお)     
弘化4年~明治16年1月30日(1847-1883)


一等軍医正・我が国最初のリウマチ学単行書の訳編者。


本姓、朝倉。父、津和野藩士朝倉忠左衛門。同藩の八木利義の養子となる。


長門萩で漢学を学ぶ。ついで、江戸・大坂でも遊学。


明治2年(1869)和野藩「養老館」から、貢進生として大学東校(東寮生)(当時の校長:佐藤尚中、教授試補:長谷川泰、東寮長:石黒忠悳、大教授:松山棟庵(棟庵はシーボルトの弟子で利雄の英語教師)大学に入り、少得業生から中得業生となる。


明治5年(1872)オースチン・フリントの「リウマチ論」を翻訳する。


明治6年(1873)文部省9等出仕。


明治7年(1874)陸軍2等軍医正となり、初代軍医総監、陸軍本病院付属第2課勤務。この頃初代軍医総監松本順と知り合う。また元沼田藩主土岐頼知の別邸の華麗な催事・歌会等で村松玄庵の二女春子と出あい結婚する。結婚後は、別邸内に住む。春子の父は、沼田藩医であり、祖父は、沼田藩家老だった。


明治11年(1878)西南戦争後の大阪臨時陸軍病院で傷病兵を治療。このとき、軍医監佐藤進・一等軍医正石黒忠悳と同職場となる。


明治14年(1881)陸軍本病院治療課長となり、部下に森鴎外(林太郎)が配属となっている。
のち、1等軍医正。


明治15年(1882)東亜医学校の設立に貢献。


明治16年(1883)熊本鎮台陸軍病院長。熊本より会議のため上京中に脳溢血を発症し急死。37歳没。


春子は長男八杉貞利を産むとすぐに没する。後妻に五月女氏を娶り、2男1女を得るが、貞利のみ残る。


訳書(共訳):「僂麻窒斯新論」、「医事表」、「医用化学」、 藤田正方と「新纂医用化学」を共訳。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6266.html

5453 八杉龍一墓(台東区・谷中霊園)


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5454 八杉貞利墓(台東区・谷中霊園)