酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5451 瀬木博尚墓(台東区・谷中霊園)

瀬木博尚 ( せき - ひろなお )
嘉永 5年 10月 6日 ( 1852年 11月 17日 ) - 昭和 14年 ( 1939年 ) 1月 22日 ) は博報堂の創業者。富山県富山市出身。


来歴・人物
明治 28年 ( 1895年 ) に東京都日本橋本銀町に教育雑誌の広告取次店「博報堂」を開業。


明治 30年 ( 1897年 )、神田区末広町に移転。


明治 43年 ( 1910年 )、日刊『内外通信』を発刊、社名を「内外通信社」と改称する。


なお、広告部門には「広告部博報堂」の名称を継続使用した。


大正 3年 ( 1914年 )、神田区錦町に移転。


大正 13年 ( 1924年 )、株式会社化し、初代取締役社長に就任。資本金 50万円。


大正 15年 ( 1926年 )、宮武外骨のコレクションを元にした「明治新聞雑誌文庫」を設立し、東京帝国大学に寄贈した。


瀬木博信 ( 元博報堂社長 ) 、瀬木博政 ( 元博報堂会長 ) は子。
(wikiより)