酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5437 大岡忠恕墓(台東区・谷中霊園)

大岡 忠恕(おおおか ただゆき / ただのり)は、江戸時代後期の大名。武蔵岩槻藩藩第7代藩主。大岡忠房家10代当主。大岡忠固の三男。

生涯
天保9年(1838年)12月1日、将軍徳川家慶に拝謁する。
 ・同年12月16日、従五位下兵庫頭に叙任する。


嘉永5年(1852年)8月25日、父忠固の死去により、家督を相続して岩槻藩主となる。


文久2年(1862年)に公武合体の一環として、孝明天皇の妹・和宮が14代将軍・徳川家茂に降嫁の際、幕府より道中警備を命じられて助郷と人馬のほか34名の藩士を駆出している。この負担により藩内の村々は疲弊した。

このほかに幕末の動乱や天災、岩槻城本丸の焼失など災害にも遭い、藩の財政破綻に苦しむ治世だった。


慶応2年(1866年)3月29日、隠居し、長男忠貫に家督を譲った。


慶応4年3月8日、江戸から岩槻に移住する。


明治3年(1870年)3月25日、明治天皇に拝謁する。


明治4年11月14日、東京に移住する。


明治13年に死去。享年58。
(wikiより)