酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5435 志賀天民墓(台東区・谷中霊園)

志賀天民 ( しが - てんみん )
文政 5年 ~ 明治 9年 9年 4月 5日 ( 1822 - 1876 )・・・1824説あり


宇和島藩医師。愛知県北宇和島郡出身。


父、布俊悟 ( 長男 )。諱、英達。号、高養楼。旧名、布清恭。


天保 4年 ( 1833 ) 京都・大坂・長崎で医学を修業。


弘化 4年 ( 1847 ) 宇和島で開業。


嘉永 2年 ( 1849 ) 竜光院下の川中島に移る。


嘉永 4年 ( 1851 - 1853 ) 再度長崎にて修業。


安政 2年 ( 1855 ) 宇和島で種痘を施す。


安政 3年 ( 1856 ) 長崎に赴き藩の支援を得て中風治療の医療用新式電気機械を購入し蘭医ハンデブリュッツらに電気での治療法とその効用を学ぶ。

この治療が前藩主伊達宗城に認められ、万延元年 ( 1860 ) 藩の御目見得医師となり、文久 2年 ( 1862 ) 典医となる。


布清恭を名乗り、さらに天民と改名した。


慶応 3年 ( 1867 ) 姓を志賀と改めた。


維新後、藩主に従い東京に出て軍医寮に出仕。


明治 4年 ( 1871 ) 栃木県医に出向。


のち、長野県上田病院長となる。病気となり退職し東京に帰った。