酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5431 里見家墓所(鳥取県倉吉市東町422・大岳院)

房州 ( 千葉県 ) 舘山十代城主・里見安房守忠義公は、慶長十九年倉吉に転封されて当院門前に居住された。


元和八年二十九歳にして関金町堀の地において逝去され、近臣八人が殉死を遂げた。


遺言により、当院において葬送し殉死八臣の遺骨を埋め、御位牌とともにお祀りしている。


この時当院で授けた忠義公の法名を「雲晴院殿心叟賢涼大居士」といい、殉死した八人の法名もすべて「賢」の字を付けたところから、彼らは「八賢士」と呼ばれていた。


のちにこれが、滝沢馬琴作『南総里見八犬伝』のモデルになったのではないかといわれている。


尚、この墓所には忠義公の祖父・正木大膳と里見家家老・堀江能登守も、ともに埋葬されている。
(案内板より)


● 堀江能登守
里見家重臣。


房州君殉死七臣  花巌宗梅大居士