酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5423 衣笠豪谷墓(台東区・谷中霊園)

衣笠豪谷 ( きぬがさ - ごうこく )
嘉永 3年 7月 ~ 明治 30年 4月 26日 ( 1850 - 1897 )


日本画家。


本姓、大橋縉侯。字、薫明・紳卿。号、豪谷・天桂山人・豪渓・白楽村農。母の姓衣笠を名乗る。岡山県倉敷出身。


11歳で詩画を石川晃山に学ぶ。


のち、本城梅屋に書を、森田節斎・坂谷朗谷に学問を習う。


慶応 2年 ( 1866 ) 江戸に出て講武所で操銃を習いながら、市川万庵に書を、大沼枕山に詩を、佐竹永海・松山延州に画を学ぶ。


また京都で中西耕石に師事。


明治 7年 ( 1874 - 1876 ) 清国に遊学し、南南宗画・六書を研究、養鶏法にも興味を持ちその勉強に熱中する。


帰国して勧農局・内務省・農商務省に勤務する傍ら、「清国式孵卵図解」を著わし新しい孵卵法の普及につとめた。


また、耐火煉瓦の研究・水蜜桃の栽培など清国の産業をわが国に移植することにも尽力。


明治 25年 ( 1892 ) 退職してから南画をよく描いた。


また、山が好きで、山に登り写生し粉本にした。


明治 17年 ( 1884 ) 創設された「東洋絵画会」の学術委員。


明治 30年 ( 1897 ) 川村雨石・高橋砕巖・菅原白龍らと「日本南画協会」を創立。48歳。


作品:「豪谷の真景」。著書:「清国式孵卵図解」、「読課余録」、「清国地誌」、「狩猟図説」、「本邦墨林今話」、「西泛帰録」、「欽定授時通考」、「農時有功伝」など多数。


子爵・品川彌二郎篆額の墓碑。正面「豪谷衣笠君碑」。