酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5422 近藤真鋤墓(台東区・谷中霊園)

近藤真鋤 ( こんどう - しんすけ )
天保 11年 4月 1日 ~ 明治 25年 11月 1日 ( 1840 - 1892 )


朝鮮国京城駐代理公使。


姓、藤原。号、内軒。父、近江大津の医家・近藤誠介。近江大津出身。


17歳で膳所藩の黒田某に師事し蘭学を学び、美濃大垣の江馬春齢に師事し医学を修める。


家業の医師を継ぐにおよび京都に移る。


姉小路公知・沢宣嘉ら 2卿の知遇を受け侍医として常に機密に参画した。


明治 3年 ( 1870 ) 伊東祐保・斉藤実俊らと外務権大録。


明治 5年 ( 1872 - 1876 ) ロンドン勤務。


明治 10年 ( 1877 ) 外務権少書記官・管理官として朝鮮釜山に赴任。


明治 13年 ( 1880 ) 初代釜山浦領事。


明治 15年 ( 1882 ) 京城在勤書記官・判事補・仁川領事。
・同年 7月大院君の扇動による兵変が起こり、公使館が暴徒の襲撃を受けたが、館員と協力し大被害を免れた。


明治 16年 ( 1883 ) 帰朝し権大書記官。


明治 17年 ( 1884 ) 参議・井上馨特派全権大使に随行して朝鮮に赴任となり、陸軍中将・高島鞆之助・海軍少将・樺山資紀・1等警視・安立利綱・外務権大書記官・斉藤修一郎・外務省御用掛・吉川重吉らと「金剛」艦に便乗す。


帰国後、記録局長となるが明治 18年 ( 1885 ) 外務書記官を兼ね再び京城に勤務。


明治 19年 ( 1886 ) 臨時代理公使・奏任1等中。


明治 21年 ( 1888 ) 朝鮮国王に謁見。正五位勲三等瑞宝章。53歳没。