酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5410 日高秩父墓(台東区・谷中霊園)

日高秩父 ( ひだか - ちちぶ )
嘉永 5年 12月 6日 ~ 大正 9年 4月 19日 ( 1852 - 1920 )


東宮学問所御用掛・宮中顧問官。


名、光太郎のち秩父。号、呆呆谿 ( ばいけい、呆呆で 1文字 )。


父、太政官主記日高頼長 ( 1818 - 1885 )( 長男 )。母、マサ ( 1852 - 1914 )。栃木県出身。


書を長三洲に学び詩書を能す。初め東京府に出仕。ついで陸軍省・明治 15年 ( 1882 ) 宮内省仕官。


明治 36年 ( 1903 ) 内大臣秘書官。梨本家令。


明治 40年 ( 1907 ) 小松宮侍従。梨本宮御用掛。東宮学問所御用掛兼宮中顧問官。国定教科書 ( 習字原本 )「小学校国定書き方手本」の執筆者・制定官。正五位勲三等。69歳没。


夫人・里起子は、蘭医・呉黄石 ( 墓は、多摩霊園 ) の娘、統計学者・呉文聡の妹で、母・セキは、箕作阮甫 ( 墓は、多摩霊園 ) の長女。


著書:「日高秩夫書諸家漢詩帖」。