酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5368 錦小路在明墓(台東区・谷中霊園)

錦小路在明 ( にしきこうじ - ありあき )
明治 2年 7月 9日 ~ 明治 44年 11月 24日 ( 1869 - 1911 )


錦小路第 30代当主。父、唐橋在綱。唐橋在正 ( からはし - ありさだ ) の弟。


東京美術学校 ( 東京芸大 ) 卒。錦小路家は後漢霊帝の末裔と言われている。


代々医者として朝廷に仕えた。


22代と23代の間に空席がある。


28代・頼徳 ( よりとみ ) は、尊皇攘夷派で元治元年 ( 1864 ) の政変で 7人の公卿と長州兵が京都から追放された事件で、三条実実らと長州へのがれ客死した。


23代・頼庸 ( よりつね:1667 - 1735 )、24代・尚秀 ( ひさひで:1705 - 1756 )、25代・頼尚 ( よりひさ:1753 - 1797 )、26代・頼理 ( よりただ:1767 - 1827、27代・頼易 ( よりおさ:1803 - 1851、28代・頼徳 ( よりとみ:1835 - 1864)、29代・頼言 ( よりゆき:1852 - 1884 )、30代・益子 ( ますこ:? - 1897. 5. 6 ) →在明 ( ありあき )。


華族成立から爵位制定まで約 15年あり、華族令が公布されたときに女当主だった錦小路家は授爵を見送り無爵位華族となったが、明治 31年 ( 1898 ) 唐橋子爵家から在明を入夫 ( 益子と結婚 ) させ爵位を授かり、これにより無爵位華族がいなくなった。子爵となった後は、東宮主事をつとめる。43歳没。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6171.html
5367 錦小路頼言墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6173.html

5369 錦小路頼孝墓(台東区・谷中霊園)