酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5360 西村郡司招魂碑(台東区・谷中霊園)

西村郡司 ( にしむら - ぐんじ )
文化 11年 9月 23日 ~ 明治 28年 1月 31日 ( 1814 - 1895 )


印旛郡八街 ( やちまた ) 開発の先駆者。名、七右衛門のち郡司。武蔵国北足立郡 ( 埼玉県 ) 出身。


18歳で江戸に出て、西村三郎兵衛の養子となり、深川に居住。


横浜開港に際し、横浜で貿易商を営み、維新政府に軍費 1万両を寄付。富豪にも新政府協力を呼び掛ける。


明治 2年 ( 1869 ) 失業窮民救済事業として小金・佐倉両牧などの開墾会社設立に伴い、三井八郎右衛門らと共に頭取となる。


8番目の入植地という意味でコロニーは”八街”と命名された。


開墾の事業は苦難を極め、定住を諦める者が続出。


明治 5年 ( 1872 ) 会社が解散。

その後も私財を投じ八街・三咲・九美上などの地区の開墾を続けた。


地元民の地権者との争議を収め、地主となり、学校を設立するなど、公衆の利益を興し防海の事業をおこなう。紺綬褒章および銀製黄綬褒章受章。82歳没。