酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5349 安立利綱墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

安立 利綱(あだち としつな、天保3年(1832年) - 1892年(明治25年)9月30日)は、幕末の薩摩藩士、明治期の警察官僚。福井県知事。旧姓・迫田。


経歴
薩摩藩士・迫田郷兵衛の二男として生まれる。明治4年10月(1871年)、東京府取締組組頭となる。権検官、大警部、権少警視と昇進した。


1877年2月、陸軍歩兵少佐兼権少警視別働第三旅団第一大隊長として西南戦争に従軍した。1879年2月、警視庁少警視に昇進。同年10月、西南戦争で戦死した安立盛行・警視庁警部補(元岡山藩士)の家を継ぎ、安立と改姓した。


1880年6月、兼消防本部副長に就任。以後、二等警視・巡査副総長、第一局長、一等警視、兼巡査総長、巡査本部長、警察本署長を歴任。


1889年 2月、福井県知事に発令された。師範学校問題、士族授産問題などに取り組み、県下に市制・町村制を施行した。1891年 3月に福井県知事を非職となり退任した。


栄典
・1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[1]


親族
・養子 安立綱之(警視総監、貴族院議員)


脚注
1. 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。


参考文献
・高橋雄豺「安立綱之」『明治警察史研究』第4巻・後編、高橋雄豺、令文社、1972年。
・歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
(wikiより)