酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5348 石川暎作碑(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

石川暎作 ( いしかわ - えいさく )
安政 5年 4月 ~ 明治 19年 4月 ( 1858 - 1886 )


言論・教育・社会改革運動家。


父、石川市十郎 ( 三男 )。


福島県西会津町野沢出身。


幼児期に山口千代作・五十嵐春甫らと渡辺思斎の家塾に学ぶ。
ついで、英学を修める。


明治 6年 ( 1873 ) 横浜の高島学校に入学し、英学を 1年間修める。


明治 7年 ( 1874 ) 東京に出て東京外国語学校・化成舎に学ぶ。


明治 8年 ( 1875 ) 福沢諭吉の慶応義塾に入門。


一時、千葉県の小学校教授となるが、のち尺振八の共立学舎で数学を教える。


明治 12年 ( 1879 ) 桜鳴舎に入り、弁論家として有名となる。


共立学舎閉鎖後、澤愛山・金谷昭らと大蔵省に入り、銀行局御用掛となる。


明治 15年 ( 1882 ) 罹病し官を辞し、田口卯吉の東京経済雑誌記者となる。


田口卯吉の主催し、渋沢栄一が後援する東京経済学講習会の出版委員として、同年 ( 1882 ) 4月イギリスの経済学者アダム・スミスが書いた「国富論」をわが国で初めて日本語に翻訳した。


翻訳は「東京経済学講習会講義禄」に載せられ明治 21年 ( 1888 ) まで続いたが、途中で石川が肺患のため病死したため、嵯峨正作が引き継いだ。


渡部鼎 ( 1858 - 1932 ) とともに女性の洋髪化をすすめるなど、黎明期日本の教育と文化にも貢献した。28歳没。


碑文は田口卯吉撰。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2030.html

1856 尺振八墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)