酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5347 坪井為春墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

坪井為春 ( つぼい - いしゅん / ためはる )
文政 7年 ~ 明治 19年 3月 30日 ( 1824 - 1886 )


蘭方医。


福島県米沢出身。


幼名、大木忠益、のち大木仲益。号、芳州。父、大木松翁 ( 長男 )。


藩医・坂内素堂、坪井信道に師事し蘭学を学ぶ。


後、坪井信道の養子となる。


天保 15年 ( 1844 )「日習堂」に入門し、弘化 4年 ( 1847 ) 塾頭となる。


嘉永元年 ( 1848 ) に坪井信道没後、嘉永 2年 ( 1849 ) 兵学ブームに乗り薩摩藩に士官し、安政元年 ( 1854 ) 薩摩藩医となり、名を坪井為春と改名。


文久元年 ( 1861 ) に幕府が創立した西洋医学所 ( 旧種痘所 ) に慶応 3年 ( 1867 ) 薬学教授として、緒方洪庵、松本良順のもとに勤務。


明治 2年 ( 1869 ) 大学少博士、大学中博士となる。


明治 5年 ~ 7年 ( 1872 - 1874 ) に文部省出仕。


明治 9年 ( 1876 ) から 8年間埼玉医科学校に勤務、明治 11年 ( 1878 ) 埼玉県立医学校長・病院長。


明治 17年 ( 1884 ) 東京大学御用掛。
門下に、加藤弘之がいる。


共著:石井信義との英医タンネルの内科書「丹氏医療大成」。63歳没。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/119.html

116 緒方洪庵墓(文京区本駒込1・高林寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/210.html
206 今戸焼と沖田総司終焉の地碑(松本良順邸跡)〔台東区今戸・今戸神社〕