酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5345 森川鍵蔵墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

森川鍵蔵 ( もりかわ - けんぞう )
明治 2年 6月 14日 ~ 大正 6年 9月 7日 ( 1869 - 1917 )


漢詩人。


字は雲卿。竹ケイ ( 渓の石偏 )・鬢絲禅侶・聴秋仙館主人等と号す。


父は、幕府旗本の森川荘次郎 ( 後に義利 )、母は服部筑後守勝全の女美喜 ( 幹子 )。荘次郎は川勝広道の親友で、歩兵頭並・外国奉行並・開成所奉行並を歴任、維新後には、兵学寮の大属となった。


鍵蔵は、初め溝口桂巌・馬杉雲外に学んだが、後に森槐南門に入り、また清人陶杏南に学んで詩餘をよくした。


雲外門の同門藤沢竹所・篠崎柳園等と謀って「鴎夢吟社」を設立し、その機関誌として「鴎夢新誌」を刊行、詩文のみならず詩餘の普及につとめた。


後大正 2年 ( 1913 ) には「詩苑」を創刊した。


詩餘は、単に「詞」とも言い、中国唐末から宋代にかけて流行した歌謡文学である。


江戸以前にも詩餘に手を染める詩人はいたが、質量ともに日本で最も充実するのは明治期で、その中心となったのが森槐南・高野竹隠と森川鍵蔵であった。


著書:「得間集」、「夢餘稿」、「詞律大成」等がある。


森川鍵蔵は槐南の妹婿でもあり、義父・森春濤の「春濤詩鈔」、槐南の「槐南集」両書の編纂にも尽力した。


なお平成 15年 ( 2003 ) には中国で、槐南・竹隠・森川三家の詞を集めた「日本三家詞箋注」( 張珍懐箋注、澳門中華詩詞学会刊 ) が刊行されている。


森川鍵蔵については、立命館大学文学部教授の萩原正樹氏により研究されている。