酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5343 山川端夫墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

山川 端夫(やまかわ ただお、1873年12月15日 - 1962年3月2日)は、日本の海軍・外務官僚、政治家、国際法学者。法学博士、貴族院議員、法制局長官。


経歴
長崎県出身。山川景範の長男として生まれる。長崎中学、第五高等学校を経て、1898年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年12月、文官高等試験に合格。1899年3月、海軍省に入り参事官に就任。その後、兼高等捕獲審検所事務官、兼鉄道院理事、海軍教官兼海軍省参事官、講和会議全権委員随員などを歴任。1919年4月、法学博士号を取得。


1920年4月、外務省に移り臨時平和条約事務局第1部長に就任し、さらに条約局長となる。1925年8月、加藤高明内閣の法制局長官となり、次の第1次若槻内閣でも留任し1927年4月まで在任。1926年12月、貴族院勅選議員に任命され研究会に属し1946年7月まで在任した。


1929年11月、海軍会議全権委員随員となり、その他、外務省外交顧問、国家総動員機関設置準備委員会委員長、臨時法制審議会委員などを歴任。戦後、1946年9月から1950年10月まで公職追放となった。


栄典
・1906年(明治39年)4月1日 - 勲四等旭日小綬章、明治三十七八年従軍記章[1]
・1910年(明治43年)2月16日 - 勲三等瑞宝章[2]
・1920年(大正9年)9月7日 - 旭日重光章[3]


外国勲章佩用允許
・1927年(昭和2年)2月1日 - ポーランド・オドロゼニアポルスキー勲章グランクロア[4]


著書
・『軍縮の為に新国防会議を興せ』国際聯盟協会、1929年。
・『倫敦海軍軍縮会議の成果』国際聯盟協会、1931年。
・『日支時局と国際聯盟』国際聯盟協会、1932年。


親族
・妻 山川ミサ(曽禰達蔵の長女)


脚注
1. 『官報』第7091号・付録「叙任及辞令」1907年2月21日。
2. 『官報』第7994号「叙任及辞令」1910年2月18日。
3. 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
4. 『官報』第29号「叙任及辞令」1927年2月3日。


参考文献
・秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
・衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
・『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。


関連項目
・大日本帝国海軍文官一覧
・昭和研究会


外部リンク
・国立国会図書館 憲政資料室 山川端夫関係文書(MF:個人蔵)
・国立国会図書館 憲政資料室 山川端夫関係文書(所蔵)
(wikiより)


 山川端夫