酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5342 藤田呉江墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

藤田呉江 ( ふじた - ごこう ) / 藤田 憲
文政 11年 11月 21日 ~ 明治 18年 5月 22日 ( 1828 - 1885 )


日本画家・富山藩儒家。


名、憲通。字、憲章。通称、重孝・太郎兵衛。号、呉江。


父、富山藩士足軽頭藤田重孝。


富山県出身。


下谷で塾を開いていた藤森天山 ( / 弘庵:1799 - 1862 ) に師事し儒を学ぶ。


26歳で藩に帰り藩校「廣徳館」の教師 ( 訓導 ) となる。


この頃藩内では、お家騒動があり、勝ち組の家老・山田嘉膳 ( かぜん ) 暗殺計画が行われ、一派に加わっていた呉江は中止させようとしたが不調に終わり、一派を外れ計画を嘉膳に知らせるが、結局場内で暗殺される。


戊辰戦争では、富山藩は新政府側につき、呉江も小隊の「横目」として新潟に出陣し、左頬に弾丸を受け負傷する。


明治 3年 ( 1870 ) 戦功が認められ高沢覚馬・古谷直記・古川権二らと富山藩公用人となる。


辞職してからは、文人として狩野派・南画を研究し一家をなす。


明治 15年 ( 1882 ) に開催された第 1回内国絵画共進会に「木芙蓉」という扇面に描かれた作品を出品し、第 2席中の 6人の中に選ばれる。


明治 17年 ( 1884 ) 明治絵画共進会審査委員。59歳没。