酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5332 伊集院兼常墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

伊集院兼常 ( いしゅういん - かねつね )
天保 7年 ~ 明治 42年 6月 20日 ( 1836 - 1909 )


実業家・造園師。


鹿児島出身。


薩摩藩の営繕関係の仕事を手がけていたが、明治維新時には官僚のち軍人となり戊辰の役、鳥羽伏見、上野戦争に赴く。


明治 5年 ( 1872 ) 海軍 8等出仕、海軍大主計。


明治 11年 ( 1878 ) 工部 2等技手となり営繕局勤務。


のち官を辞して実業界に転向し、参宮鉄道、大日本土木会社社長となった。


建築や造園にも優れた審美眼を発揮し宮家の御殿などの建築に携わり、「鹿鳴館」の建築を担当し熟練の名を残す。


また「近世の遠州公」とも称された。


その一つの廣誠院 ( 京都市中京区河原町通二条下る ) は、明治 25年 ( 1892 ) 伊集院兼常が東京から京都に移り、屋敷を構え約 5年間住んだが、後に伊集院家より藤田家、下郷家を経て廣瀬家の所有となり、昭和 27年 ( 1952 ) より臨済宗の寺廣誠院 となった。


また、市田氏対流山荘庭園 ( 京都市左京区南禅寺福地町:未公開 ) は、明治 30年ころ寺院の敷地であったこの場所に伊集院兼常が草居を建てたのが始まりで、小川治兵衛 ( 植治 ) が庭園として創作したが、茶席など伊集院時代のものが残っているという。74歳没。