酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5330 立浪弥右衛門墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

立浪弥右衛門 ( たつなみやうえもん ) / 緑嶌友之助
緑嶌 友之助 ( みどりしま とものすけ、1878年 ( 明治 11年 ) 1月 12日 - 1952年 ( 昭和 27年 ) 12月 16日 ) は、石川県上新川郡 ( 現在の富山県滑川市 ) 出身の元大相撲力士。最高位は小結。


現役時代の体格は 166cm、90kg。本名は高木友之助。


来歴
初めは京都相撲に入門したが兄弟子達にいじめられてすぐにやめた。


後に12代目・春日山親方 ( 十9・朝日森万藏 ) に入門し東京では明治 31年 1月場所、幕下付出で初土俵。


1901年 ( 明治 34年 ) 5月場所新十両、1902年 ( 明治 35年 ) 5月場所新入幕。


約 5尺 5寸、24貫の小兵だが力が強く吊り寄りを得意とした。


1908年 ( 明治 41年 ) 5月場所小結に昇進。


大関駒ヶ嶽に強く ( 双葉山いわく「儂がいたから駒ヶ嶽は横綱になれなかったんだ」と言ったそうである ) 大事な場面で何度も倒した。


1914年 ( 大正 3年 ) 1月場所には横綱常陸山から金星を獲得。


1915年 ( 大正 4年 ) 6月場所で 2勝 8敗と大きく負け越して引退、年寄立浪弥右衛門を襲名して独立した。


打倒出羽海の執念と親方としての手腕は凄まじく「立浪三羽烏」と呼ばれた双葉山、羽黒山の 2大横綱、名寄岩の 1大関をはじめとした数多くの名力士を育て、一代で部屋を角界屈指の名門にまで引き上げた。


晩年の弟子には後に「立浪四天王」と呼ばれる若羽黒、時津山、安念山、北の洋がいる。


1932年 ( 昭和 7年 ) の春秋園事件以後は相撲協会の取締を務めた。


1952年 ( 昭和 27年 ) 12月 16日 74歳で没。


弟子の羽黒山と双見山の岳父だが双見山は後に離婚した。


中国哲学者でのち中央大学総長の高木友之助は長男。


・主な成績幕内在位:27場所 ( 小結 1場所 )
・幕内通算成績:78勝 120敗 19分 7預 46休 勝率 .394
・金星:1個 ( 常陸山 )


関連項目
・小結一覧
(wikiより)