酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6332 益田克徳墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

益田 克徳(ますだ こくとく、1852年(嘉永5年)1月 - 1903年(明治36年)4月8日)は、幕末期の幕臣で明治期の官吏、実業家、政治家。東京海上保険創立者。幼名は荘作。号は無為庵、非黙。


経歴
代々土着与力をもって徳川に仕えた佐渡奉行所の役人・益田鷹之助の次男で、益田孝の弟。佐渡生まれ。

1854年(安政元年)に父が箱館奉行所へ異動となったのに伴って、1855年(安政2年)江戸の親戚の家に出て、1858年(安政5年)に箱館に移る。1859年(安政6年)に父が外国方支配目付役に異動となったため江戸に戻る。慶応年間、英漢学を修め海軍修業生となり榎本武揚・榎本軍に属する。箱館で捕らえられ、江戸に護送され禁固100日に処される。

明治維新後、1869年(明治2年)に高松藩に預けられ、慶應義塾に入り福澤諭吉に学ぶ。卒業後に高松藩の教育掛となる。明治4年(1871年)に山田顕義と欧米を視察し、司法省に出仕して検事となる。明治7年(1874年)に前島密と共に海上保険例を作成する。

その後、民間に下り、沼間守一の嚶鳴社に入って自由民権運動に参加する。1879年(明治12年)東京海上保険会社勤務となり支配人となる。東京米穀取引所、王子製紙、明治生命、石川島造船所の取締役を歴任する。

その他
「克徳」の読み仮名は"かつのり"などと書かれることがあるが、家族のものは"こくとく"と呼んでいる[1]。

脚注
1. 『益田克徳翁伝』p347 解説より

参考文献
・『慶應義塾出身名流列伝』 三田商業研究会編、実業之世界社、1909年(明治42年)6月。(近代デジタルライブラリー)
・益田克徳(ますだかつのり)
・『益田克徳翁伝』大塚栄三著 益田恭尚・益田晃尚 編、東方出版、2004年(平成16年)11月。 
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5977.html
6333 益田 鳳墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)