酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6324 岡田平蔵墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

岡田平蔵 ( おかだ - へいぞう )
天保 8年 3月 19日 ~ 明治 7年 1月 15日 ( 1837 - 1874 )


「尾去沢銅山事件」関係者。


初名、村尾銀次郎。日本橋村松町出身。


日本橋品川町 ( 室町 1丁目 ) の金物問屋伊勢屋・岡田平作の養子となる。


養父は、横浜開港を機に輸入業を始め、横浜運上所の諸色目利御用達となり、平蔵が諸色目利役をしていた。


慶応元年 ( 1865 ) 何らかの法に触れ、大坂淡路町に移る。


慶応 3年 ( 1867 ) 養父の死にともない後を継ぐ。


慶応 4年 ( 1868 ) 新政府に接近し、奥州・信州・越前・飛騨などの物産を扱い、巨利を得る。


明治 2年 ( 1869 ) 古金銀分析所を設立し、造幣寮と取引をはじめ、明治 4年 ( 1871 ) 造幣寮分析御用となる。


益田孝を番頭とし、大蔵大輔の井上馨に接近し用人となり、益田孝を造幣権頭にする。


明治 5年 ( 1872 ) 東京古金銀分析所を設立し、陸軍省と取引を始める。


一方、この頃東北地方の尾去沢・阿仁・院内などの鉱山の経営を始める。


のちに、尾去沢 ( おさりざわ ) 鉱山の払下げ疑惑、「尾去沢銅山事件」が起きる。


明治 7年 ( 1874 ) 井上馨・エドワード・フィッシャー商会らと「岡田組」を設立したが、銀座煉瓦街で死体となって発見される。37歳。


岡田平太郎は実子、岡田平馬は義弟、岡田平太は平馬の子。