酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5320 島薗順次郎墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

島薗 順次郎(しまぞの じゅんじろう、1877年3月12日 - 1937年4月27日)は、医師、内科学者、医学博士。和歌山県和歌山市出身。


生涯
1877年3月12日、和歌山県和歌山市に須藤暢の次男として生まれた。和歌山中学校在学中に才覚を見込まれ、島薗家の養子となる。卒業後、第一高等学校を経て、1899年に東京帝国大学医科大学に進学。大学在学中は、三浦謹之助教授、高橋順太郎教授の指導を受けた。1904年に卒業し、ドイツに留学。


帰国後は、岡山医学専門学校教授、京都帝国大学教授を務め、1924年には三浦の退官により東京帝国大学医学部医学科第一内科学講座教授に抜擢される。1926年5月16日、ビタミンB1欠乏症においての実験的研究により帝国学士院賞を受賞し、1929年には日本初の交換教授としてベルリン大学で1年間講義を行った。


1933年に東京帝国大学医学部附属医院長となり、翌1934年には鈴木梅太郎が発見していたビタミンB1を用いた研究の結果、脚気はビタミンB1の欠乏によるものと結論付けた学説を発表した。


後任の第一内科学講座教授は柿沼昊作。


略歴
・1905年:東京帝国大学医科大学卒業。
・1911年:ドイツに留学。
・1913年:帰国して岡山医学専門学校(岡山大学医学部の前身)教授に就任。
・1916年:京都帝国大学医科大学教授。
・1924年:東京大学医学部教授。
・1926年:帝国学士院賞を受賞。
・1929年:ベルリン大学で日本初の交換教授として講義。
・1933年:東京帝国大学医学部附属医院長に就任。
・1937年:定年退官して東京帝国大学名誉教授となったが、間もなく死去。


業績
・脚気がビタミンB1欠乏症であることを発見・証明した。


家族
順次郎の3人の息子は全員学者である。
・長男・順雄は元和洋女子大学教授で医学博士[1]。
・次男・平雄は元宮崎大学教授で農学博士[1]。
・三男・安雄は元国立武蔵療養所長で医学博士[1]。
 ・安雄の長男・島薗進は宗教学者[1]。
・長女・正子は地球物理学者の坪井忠二と結婚した[1]。
・次女・文子は元東京慈恵会医科大学教授の高橋忠雄と結婚した[1]。
・三女・しづは5代目武田長兵衛の息子で薬学博士の武田敬之助と結婚した[1]。
・四女・千代は元日本プレスコンクリート社長の堀武男と結婚した[1]。


参考文献
・佐藤朝泰 著 『門閥 旧華族階層の復権』 立風書房、1987年4月10日第1刷発行、ISBN 4-651-70032-2


脚注・出典
1. a b c d e f g h 『門閥』、480-481頁。


外部リンク
・和歌山県:紀の国の先人たち-島薗 順次郎
(wikiより)


 島薗順次郎