酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5318 岩男三郎墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

岩男 三郎(いわお さぶろう、1851年6月8日(嘉永4年5月9日)[1] - 1909年(明治42年)7月15日)は、幕末期の肥後熊本藩士、維新後は官吏、各県知事などを歴任した。


経歴
熊本城下坪井で、熊本藩士・岩男伝之允の三男として生まれる。藩校時習館で学ぶ。横井小楠の高弟で、幕末期には野々口為志、鵜殿豊之進、横井左平太、横井忠平らと交わり、勝海舟の神戸海軍操練所で航海術を学び、長崎に遊学、熊本藩の洋学所管術となる。


維新後は福澤諭吉に師事して慶應義塾に入学[2]、卒業後の明治3年(1870年)、民部省監督権正となり東北に派遣される。山形県大参事となったが罷免される。明治5年(1872年)、熊本藩主細川護久の弟・長岡護美の従者としてアメリカに留学。


帰国後、1878年(明治11年)、司法省に入り東京裁判所詰となる。以後、同裁判所判事補、制度取調局御用掛などを歴任。1886年(明治19年)、三重県書記官に就任し、静岡県・愛知県の各書記官を務めた。1896年(明治29年)、秋田県知事。のち福井県知事、宮崎県知事、徳島県知事を歴任。1908年7月27日、休職満期となり退官した[3]。


1909年(明治42年)4月5日に錦鶏間祗候に任ぜられる[4]。晩年は横井小楠の顕彰を率先して行った。


栄典
・1891年(明治24年)12月26日 - 従六位[5]
・1902年(明治35年)10月31日 - 従四位[6]
・1903年(明治36年)12月26日 - 勲三等瑞宝章[7]。
・1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章[8]


脚注
1. 参考文献『日本の歴代知事』第3巻上、473頁。
2. 『慶應義塾入社帳 第1巻』50項、163項。
3. 『官報』第7528号、明治41年7月30日。
4. 『官報』第7730号、明治42年4月6日。
5. 『官報』第2550号「叙任及辞令」1891年12月28日。
6. 『官報』第5800号「叙任及辞令」1902年11月1日。
7. 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
8. 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。


参考文献
・『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年。
・『日本の歴代知事』第3巻上、歴代知事編纂会、1982年。
・小楠公園(しょうなんこうえん)熊本市 - 熊本県庁
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5901.html

5317 岩男省三墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


 岩男三郎