酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5303 梅浦精一墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

梅浦精一 ( うめうら - せいいち )
嘉永 5年 2月 13日 ~ 明治 45年 3月 17日 ( 1852 - 1912 )


石川島造船所の専務取締役。越後長岡出身。


明治 5年 ( 1872 ) 大蔵省出仕。


明治 8年内務省に移る。


明治 9年 ( 1876 ) 3月、多田元吉は石河正竜、通訳の梅浦精一とともにインド紅茶生産地ダージリンとアッサムを視察し、コロネルモニイから茶樹耕種培養法を学んだ。


明治 11年帰国。


明治 14年以降実業界に転じ、石川島造船所の専務取締役となる。


明治 19年 ( 1886 ) 7月 26日電話会社創立の発起人総代として逓信大臣、榎本武揚に上申書を出願。渋沢栄一も発起人の一人。


翌年 5月理学士・沢井廉を電話事業調査のため米国に留学させた。61歳没。


著書・共訳:「銀行簿記精法」、「西洋勧善夜話」、「英語掌中に熱字箋」、「文部省蔵版百科全書織工編」、「茶木栽培製法説略」。


碑は、渋沢栄一題額。


戒名 : 「真證院殿釈力精居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2841.html
2561 渋沢栄一墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)