酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5302 渡辺安積墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

渡辺安積 ( わたなべ - あさか )
安政 6年 8月 22日 ~ 明治 20年 2月 23日 ( 1859 - 1887 )


英吉利法律学校 ( 中央大学 ) 創設者の一人。


幼名、大十郎。山口県岩国出身。父、渡辺九郎兵衛。


はじめ郷里にて和漢学と、岩国学校でスティーブンスに英語を学ぶ。


明治 7年 ( 1874 ) 3月東京に出て東京英語学校・開成学校で予備教育を受け、東京大学で法律学を専攻。


明治 15年 ( 1882 ) 7月卒業し、法学士となる。


日報社員として政治経済関係の社説を書く。


明治 18年 ( 1885 ) 5月農商務権少書記官、参事院の員外議官補および東京大学御用掛・准講師を兼任。


当任官に伴い正七位に叙任。


11月肺を患い、郷里にて静養。


官制改革により非職を命じられる。


明治 18年 ( 1885 ) 英吉利法律学校創立に参画し、明治 19年 ( 1886 ) 3月東京に戻り同年 4月幹事となる。


のち、熱海にて加療するも明治 20年 ( 1887 ) 2月 23日に没する。29歳。


 英吉利法律学校創立者の 18人は、増島六一郎、高橋一勝、岡山兼吉、高橋健三、岡村輝彦、山田喜之助、菊池武夫、西川鉄次郎、江木衷、磯部醇、藤田隆三郎、土方寧、奥田義人、穂積陳重、合川正道、元田肇、渡辺安積、渋谷慥爾。