酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5300 宮川保全墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

宮川保全 ( みやかわ - やすのり )
嘉永 5年 ~ 大正 11年 11月 21日 ( 1852 - 1922 )


明治期の教育者・実業家・共立女子大学設立。


正六位勲五等。東京出身。


兵学校 ( 明治期の下士官養成機関 ) に入学するも明治 5年 ( 1872 ) の兵学校廃止とともに教導団に編入されたが、翌年除隊。


明治 7年 ( 1874 ) には文部省に出仕、長崎師範学校に勤務。


その後東京女子師範学校・東京師範学校で数学を教える。


明治 18年 ( 1885 ) から明治 23年 ( 1890 ) ころ、洋風化が流行り、官立の女子高においても男子と同じ扱いを受けることが起きた。


生徒は洋服を着用し、華やかなダンスが校内で繰り広げられ、寄宿舎も畳がなくなり、寝室はベッドになった。


現在の感覚では、結構なことと思われるが、まだ男尊女卑の風潮が色濃い時代で、好ましくないと考える人も多くいた。


宮川保全もその一人であった。


宮川は、この風潮に憤然とし、勤務していた官立の東京女子師範学校を辞め、明治 19年 ( 1886 ) 私立の女子学校である共立女子職業学校 ( のちの共立女子学園 ) を鳩山春子・永井久一郎 ( 永井荷風の父 )・服部一三・手島精一・渡辺辰五郎などら 34名とおこした。
以後同校の教育に従事した。


その傍ら、実業家としては、中央堂や大日本図書出版会社などを経営した。


大正 5年 ( 1916 ) 校長となる。


数学関係の著書・訳多数。