酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5291 佐々木政吉墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

佐々木 政吉(ささき まさきち、安政2年11月11日(1855年12月19日) - 昭和14年(1939年7月11日))は日本の医学者。専門は、内科学、特に結核の診断と治療。


人物
東京生まれ。蘭方医・佐々木東洋の養嗣子。東京帝国大学卒。ドイツ留学後、1886年、33歳で帝国大学医科教授に就任。日本人として初めて大学東校教授。医学博士は日本人として第2号。1893年、帝国大学医科大学第一内科学講座教授に就任。


再度ドイツへ出張し、ロベルト・コッホのツベルクリン療法の調査研究をした。その研究を継続するため、自宅内に研究所を作り、これが佐々木研究所の母体となる。


41歳で、大学教授を辞める。後任の教授は三浦謹之助。大学を辞めたあとは、杏雲堂醫院院長に専念し、平塚に結核療養のための杏雲堂平塚病院を設立した(2004年閉院)。


入院患者として、高山樗牛、国木田独歩、有島武郎夫人などが知られている。


冷水浴・冷水摩擦法を、特に青年の健康増進法として普及させた。


東京都台東区の谷中霊園に眠る。


略歴
・安政2年(1855年)江戸本所竪川で生誕
・慶応元年(1865年)佐々木東洋の養嗣子となる
・明治4年(1871年)大学東校予備門に入学
・明治12年(1879年)大学東校卒業
・明治13年(1880年)自費で内科学研鑽のため独逸留学
・明治17年(1884年)帰国、大学東校講師
・明治18年(1885年)大学東校教授(日本人として第1号)
・明治21年(1888年)医学博士(本邦第2号)
・明治24年(1891年)コッホのツベルクリン療法調査研究のためドイツに出張
・明治25年(1892年)帰国
・明治27年(1894年)自宅内に研究室設置
・明治28年(1895年)大学教授依頼免官
・明治29年(1896年)杏雲堂醫院院長、平塚分院設立
・大正5年(1916年)杏雲堂醫院顧問に就任
・大正13年(1924年)顧問を引退
・大正14年(1925年)胸像作成
・昭和14年(1939年)逝去、享年85


参考資料
・小池 重 『佐々木政吉先生を語る』 日本医事新報 1940年
・小池 重 『佐々木政吉先生』 東京医事新誌 1953年
・沢田百泉 『お医者山脈』 1976年
・(財)佐々木研究所編
  ・『杏雲堂病院百年史』 1983年
 ・『財団法人佐々木研究所五十年史』 1990年
 ・『(財)佐々木研究所附属杏雲堂平塚病院100年史』 1997年


関連項目
・佐々木研究所
・佐々木東洋
・佐々木隆興
・佐々木洋興


外部リンク
・公益財団法人佐々木研究所
・杏雲堂病院
(wikiより)


関連情報
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596 重野安繹墓(台東区・谷中霊園)


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2951 三浦謹之助墓(台東区・谷中霊園)


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5292 佐々木東洋墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


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5293 佐々木隆興墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


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5294 佐々木洋興墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


 佐々木政吉