酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5281 佐竹永湖墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

佐竹 永湖(さたけ えいこ、天保 6年12月(1835年) - 明治42年(1909年)7月23日)は幕末から明治期の画家。佐竹永海の養嗣子。

旧姓加藤。名ははじめ金太郎のち子璋。永湖は号、別号に泰峩・巍々堂・九成堂など。江戸の生まれ。


略歴
11歳のとき鳥取藩の沖一峨に師事し、土佐派・狩野派を習得。後に佐竹永海はその画力を認め長女[1]の婿とした。永湖は義父であり師である永海の下で谷文晁系正統の南北合流の画法を修めた。維新後、一時生活難となり地方に遊歴したが、東京に戻ると内国勧業博覧会・内国絵画共進会などに出品し、褒章を得て名声が高まった。宮内省の御用絵師となり内外の賓客の御前で揮毫する栄誉に浴した。日本画会の審査員をつとめ晩年は画壇の長老として敬われた。享年75。谷中霊園に墓がある。


佐竹永稜を娘婿として後継とした。弟子に福田浩湖、山川永雅、織田旦斎・堆朱楊成(20代)などがいる。


「作品」については、『佐竹永湖ウィキペディア』を御覧下さいませ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E6%B0%B8%E6%B9%96


脚註
1. 永海の15人目の妻に生まれた娘
2. 福井県立美術館編集・発行 『永平寺所蔵絵画調査報告書』 2004年3月、p.10。

参考文献
・福島県立博物館編集・発行 『佐竹永海』 1998年
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/300.html

287 谷文晁墓(台東区東上野6-19-2・源空寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5864.html
5280 佐竹永海墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5866.html

5282 佐竹永陵墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)