酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5279 毛受 洪墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

毛受 洪 ( めんじゅ - こう / ひろし )
文政 8年 7月 17日 ~ 明治 33年 4月 19日 ( 1825 - 1900 )


越前福井藩権大参事。


名、彦一・寛洪・洪。通称、鹿之助・戸作・将監。


父、毛受伝三郎福高 ( 600石 )( 長男 )。福井県出身。


藩も世臣の家に生まれる。


安政 2年 ( 1855 ) 藩校「明道館」講研師となり、翌年訓導師となる。


外塾師取扱係・他国学問修行取扱などを歴任。


安政 6年 ( 1859 ) 家督を相続、大番頭。


のち、書院省頭格・用人奏者兼軍帳掛。


文久 3年 ( 1863 ) 京都に出るが、「堺町の変」が起こり、帰藩し報告。


明治元年 ( 1868 ) 役所掛、参与兼弁事。


明治 2年 ( 1869 ) 福井藩公儀人。


福井藩権大参事・集議院幹事。


従四位。