酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5268 樫村清徳墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

樫村清徳(かしむら - きよのり)    
弘化4年11月 ~ 明治35年7月6日 (1848 - 1902)


駿河台山龍堂病院長・東京大学医科大学教授・医学博士。


父、米沢藩士樫村清秀(長男)。旧米沢藩士。


藩校「興譲館」に入学し、漢学を修める。


元治元年(1864)17歳で江戸の医学所に入り、渡辺洪基と足立寛に師事し、英学を修める。


22歳のとき石黒忠悳の斡旋で明治2年(1869)大学東校に入る。


大学中得業生兼少舎長・文部権中助教監事事務少助教。のち文部省に出仕。宮内省御用掛(明治・大正天皇の侍医)、東京医学校教授。


明治12年(1879)大学医院内科部長。


明治14年(1881)東京大学医科大学教授。


明治17年(1884)文部省より在官のままドイツ留学。


明治18年(1885)帰国。


明治19年(1886)神田駿河台に「山龍堂」病院を開設。日本薬局方調査委員。


明治24年(1891)医学博士。


著書:「新纂薬物学」、「薬物学講本」、「日本薬局方随伴」など。


 明治29年(1896)に樋口一葉は、結核のために倒れ病状が急速に悪化、同年8月初旬、神田小川町の山龍堂病院の院長・樫村清徳によって絶望と診断された、という逸話がある。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3461.html
3219 榊順次郎墓(豊島区駒込5丁目・染井霊園)