酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5264 神原護国墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

神原護国 ( かみはら - もりくに )
文政元年 ~ 明治 18年 1月 6日 ( 1818 - 1885 )


漢学者・僧侶。


名、精・精二。通称、茂行のちに養道。号、護国。


沼隈郡金見 ( 広島県 ) 出身。


山路機谷に学び養われてその義弟となる。


ついで森田節斎に師事。


江木鍔水・阪谷朗?・宮原節庵・高橋西山らと交流。


のち、福山の安楽寺に入り僧侶となり、学道・円海と称する。


のち、江戸の増上寺に入る。


明治 3年 ( 1870 ) 南部藩に呼ばれ還俗して南部藩士となり、経済を立て直す。


東京本郷丸山 ( 湯島 ) に「共慣義塾」を開く。


また、教部 ( 宗教関係の官庁 )中 録に任ず。


岩代安積郡の開墾に尽力。68歳没。


題額「護国神原居士墓表」。墓誌は、堤正勝撰文。広群鶴刻。