酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5255 堀切善次郎墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

堀切 善次郎(ほりきり ぜんじろう、1884年(明治17年)9月2日 - 1979年(昭和54年)11月1日)は日本の政治家。堀切善兵衛は兄。


経歴
福島県出身。東京帝国大学卒業後、内務省に入省。内務監察官、兼内務省参事官・警保局保安課長兼図書課長などを歴任。1925年(大正14年)に神奈川県知事、翌年9月には復興局長官となる。1929年(昭和4年)4月に東京市長、翌年12月には拓務次官を務め、1932年(昭和7年)5月に成立した斎藤内閣において法制局長官に就任、翌年3月には内閣書記官長に転じて、同年12月に貴族院勅選議員に勅任された。その後、早稲田中学校校長を務める。


戦後幣原内閣で内務大臣を務め、1945年(昭和20年)10月23日、帝国議会に女性に選挙権と被選挙権を認める選挙法改正法案を提出、同年12月15日可決成立する。1946年(昭和21年)5月14日、貴族院議員を辞職[1]。同年に公職追放となるが、主権回復後の1954年(昭和29年)から15年にわたって東京都公安委員長を務めた。


栄典
・1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章[2]
・1933年(昭和8年)2月6日 - 勲二等瑞宝章[3]


著書
『帝都市民諸君に寄す』
『早稲田中学校創立六十周年記念録』
『貴族院改革資料』巌松堂書店 1923


脚注
1. 『官報』第5799号、昭和21年5月17日。
2. 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
3. 『官報』第1830号「叙任及辞令」1933年2月7日。
(wikiより)


戒名 : 「積徳院釈善功法潤居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1207.html

1112 堀切治雄墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


 堀切善次郎